7周目は5回で81.63kmのランニング、累計で356.41km。目標の48.1km×7週=336.7kmを20km弱アヘッドだ。
昨日、オフィス内を移動中に立ち止まってフロアに設置されたモニタ画面(社内外のニュースやトピックスの映像が流れている。電車のドア上のモニタのような感じ)に目をやって、そのまま歩き出してしまいすぐそばにあった柱に頭をぶつけてしまった。
「痛っ!」と手をやったら結構な出血だ。急いで最寄りのトイレに行って止血し、なんとか治まった。一時は、これは病院行って縫わなきゃダメかなと思い病院を検索し始めたくらいだった。
止血できたので、エントランスフロアにあるコンビニに行って絆創膏とマスク(血に染まってしまったので)を買って、廊下とトイレに付いてしまった血を消毒用のアルコールで清拭し、なんとかオンライン会議に間に合った。
朝早く行っていたので、元々出社率を30%以下に保っているオフィスがさらに閑散とした状態だったのでほとんど人に見られずに済んで良かった。
そんなことがあったので、今はただ絆創膏を貼ってあるだけで何ともないが(2、3日で完全にくっつくだろう)、今日はランオフにしてしまった。
不注意が原因なのだが、おそらく加齢で視野が狭くなっているのも一因だろう。自分が見えていると思っている範囲(若い時の視野のままだと思っている)よりも実際に見えている範囲は狭いはずだ。老い行く者としては、目の視野が狭まる分、心の視野を広げたいと思った次第。
ということで「1日1話、365人」の方は、
2/12 坂井真民(仏教詩人)
2/13 西村 滋(作家)
2/14 石川 洋(托鉢者)
2/15 夏井いつき(俳人)
2/16 白川 静(立命館大学名誉教授)
2/17 杉山芙沙子(一般社団法人次世代SMILE協会代表理事)
2/18 張 富士夫(トヨタ自動車相談役)
の7人(敬称略、肩書きは著書による)。
今回は西村滋さんの話。
西村氏が6歳の時に結核の為に他界されたお母さんにずっと邪険にされていたというお話だ。
物心がついた時から、なぜか僕を邪険にして邪険にして、嫌なお母さんだったんですよ。散々いじめ抜かれて、憎まざるを得ないような母親でした。
ということらしい。
しかし、それにはもちろん理由があり、ひとつは結核を移してはいけないということで西村氏をそばに寄せ付けないようにと考えた為。そしてもう一つは、
幼い子が母親に死なれて泣くのは、優しく愛された記憶があるからだ。憎らしい母なら死んでも悲しまなくないだろう。また、父も若かったため、新しい母親が来るはずだと考えたんでしょうね。継母に愛されるためには、実の母親のことなど憎ませておいたほうがいい、と。
これは、その後非行を繰り返し少年院に入っていた13歳の西村氏のところに氏が幼い頃に家政婦だった方が尋ねて来られて伝えられた。母親からは西村氏が二十歳になるまでは伝えないように口止めされていたようだが、家政婦さんも胃がんを患っていたことから予定より早く伝えられたのだ。そして、これを機会に西村氏は立ち直ったということだ。
このような親や兄弟がわざと辛くあたって、後でその意図をご本人が知ってその愛を胸に刻むという話は、この西村氏の話より前に覚えているだけでも3つは出てきている。それだけ、このような体験は深く胸に刻まれるのだろう。
昔と違って、今はなかなかこのように(西村氏の体験はその中でも強烈だが)厳しい育て方というのは減ってきているのではないだろうか。
色々な環境や状況があるので、一概にどちらが良いとか悪いとかいうつもりはないのだが、それが愛であると知るまでの間心に傷を負うとしたなら、それは後で癒えれば良いものなのだろうか。あるいは、それを癒えたと言って良いのだろうか。
僕の場合は、そんなことより先ず自分で傷を作らないようにすることだ。