今週は37.77km、累計で1743.03km。
いよいよ今日が開幕式となった。
残念ながら今の状況を考えると素直に喜べる気がしない。
でも、オリンピックそのものには罪はない。それを人がどう扱うかが問題なのだと思う。
少なくともメディアで取り上げられているIOC会長の言動(前後や状況を含めて承知している訳ではないので限定的だが)を見聞きしていると、それが都合よく切り取られたものではないのであれば、その職に相応しいものだとは思えない。
思い起こせば、「復興オリンピック」、「アンダーコントロール」などといいながら東京が開催地に決定した時も、そんなところに注ぐ力があるのならストレートに震災復興に向けるべきだと残念に思ったのだった。それ以降も、新国立競技場建設問題、大会エンブレム問題、招致における賄賂疑惑、大会組織委員会会長の発言問題、開閉会式クリエイティブディレクター、開会式作曲担当、開会式演出担当の問題とこれでもかと問題が噴出している。
ただ、そこで行われる競技はそのようなこととは切り離して、考えたい。
それがスポーツなのだと思いたい。
※1964年のオリンピックで大会組織委員会にいた父からもらった腕時計を久しぶりに嵌めてみる。
ストライクは真ん中に投げるだけですが、ボールにする球は、内外角それぞれの高低と四つのコースがあります。このボール球を投げる時だけがコントロールをつける練習になると思って、真剣に投げました。
もちろん、ストライクだってただ真ん中に投げるのではなく、どう投げるか(球質、スピード等)もあるだろうし、ボールだって内外高低の組み合わせだけではないだろうということは野球に疎い僕でも想像がつく。
ただ、ストライクそのものよりもボールの方がひょっとしたら難しいのではないだろうか?というのが新たな気付きだった。ピッチャーにとっては当たり前のことなのかも知れないが。
当事者じゃないと意外に逆に周りは逆に考えていることって、いろいろなところにあるような気がした。