東京ハーフマラソン / あと57.805km

GARMINのGPSランニングウォッチで走る50代マラソンランナーの雑記。サブ3、エイジレコードを維持するのが目標。

潮時 【レースレポ】第71回別府大分毎日マラソン(3)

marathon.hatenablog.jp

の続き。

 

ゴールラインを越えて、Garminの計測を止める。

ゴールの時オフィシャルタイマーは確認しなかったが、2:59:30くらいだろうと思った。邪魔にならないところまで進んで、四つん這いになって呼吸を整える。しばらくすると、ゴール付近でパチパチと拍手の音が聞こえた。ギリギリサブ3でゴールした選手へ贈られたものだろう。

立ち上がってフィニッシャータオルを受け取り、列の流れに乗って進む。スポーツドリンクを受け取って、少し歩いたところで急激に両足の脹脛が攣った。思い切り筋肉が収縮しもの凄い痛みが襲ってきた。立っていられなくなった。ちょうどトラックの最終コーナーのところで大会の係の方がそこにいらした(視覚障害の選手がコーナーに入ってくるときに声で補助していた)ので、「すみません」と断って座らせてもらい攣りが治るのを待った。

係の方は「(座っていて)大丈夫ですよ。スポーツドリンクを沢山飲んでください。脱水のようなので。」とアドバイスをしてくれた。言われた通りに先ほど受け取ったスポーツドリンクを飲む。しばらくすると、移動している選手の列から抜けて動けないでいる僕の方に来て脹脛を伸ばしてくださる方がいた。確かランシャツに「大阪市役所」と書かれていたかと思う。ありがとうございました。

悶絶状態からは脱したものの、まだ立って歩ける状態ではなかった。先ほどの係の方は、「そろそろ、私はこの持ち場から離れますが大丈夫ですか?」と声をかけてくださり、「大丈夫です」と答えると、スポーツドリンクをさらにもう1本持ってきてくださり、引き揚げて行かれた。ありがとうございました。

結局、20分以上そこから動けなかったかと思う。なんとか立てるようになったので、着替えに向かう。既に体は冷えはじめていて早く着替えたいのだが、歩みは遅い。

 

カテゴリー2の着替え場所である高校の多目的競技場(普通の体育館だった)に入ろうとし、ふと「そういえば、預けた荷物はどこで受け取るんだ?」と思ったら、どうやら体育館の床に並べられているらしいというのが周囲の会話で分かった。

中に入って自分の荷物をピックアップして着替えを済ました。

外に出てシャトルバスの列に並んだ。この大会で一番長い時間並んだのは、この帰りのシャトルバスだったかもしれない。

並びながら、スマホで自分の記録を確認すると2:59:29だった。

バスに乗って、スマホTwitterやブログを見ているうちに吐き気が襲って来た。幸い我慢できないという状態ではない、目的地までは大丈夫だろう。レースの後はこうして低血糖状態になってしまうことが多い。ちゃんと補給食は摂っているつもりだったが、今日は後半計画通りに摂取できなかったのも一因かもしれない。

バスが別府北浜に着いたので、降りて信号を渡ったところにあるトキハという複合店舗のトイレに入って吐いた。といっても、もちろん胃の中は見事にからっぽだ。

預けた荷物をホテルに取りに行く途中で、コンビニ寄って食べられそうなものを物色した。補給食ばかり摂っていたのでゼリー飲料は食べたくなかった。飲むヨーグルトというのがあったので、それを買って、ゆっくり飲んだ。急激に血糖値をあげてしまうとインシュリンの分泌で血糖値の乱高下が始まってしまってやっかいだ。

 

荷物をピックアップして、路線バスで今日宿泊するホテルに移動(2泊目はレース会場への利便性は考えず、観光地っぽいホテルにした)しようとバス停に向かった。

ところが、どうやら路線バスではそのホテルまでたどり着けないことが分かった。別大マラソンのコース、第1折り返し地点のさらに先、同じ道沿いにあるので路線バスで行けるものと思っていた。慌ててホテルのサイトを調べると、別府駅から無料のシャトルバスが出ていることが分かった。ただし、本数は少なく最終便が18:00発、そして今は17:48。仕方なく、荷物を背負って走った。まさか、レース後に走ることになろうとは思ってもいなかったが、なんとか出発2分ほど前にバスに乗り込むことが出来た。

 

前日のホテルがビジネスホテルのシングルだったので、2泊目のホテルの部屋はとても広くて快適だった。

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先ずは風呂に入ることにする。300室弱の客室数があるホテルなのに、大浴場に入ると貸し切り状態だった。ホテルの中には普通に多くの宿泊客がいるのだけれど、午後7時台に大浴場に僕1人ってどういうことだろう。宿泊客の多くがアジア圏の方のようだが、あまり大浴場を好まず部屋の風呂を使うのだろうか?

風呂から上がって、食事をするレストランをどうしようか考えた。ここは市街地からは離れているので、周囲にあまり飲食店はなくホテル内のレストランからの選択になる。

残念ながら、まだ食欲は戻ってこないのだが、日本料理の店に20:00で予約を入れた。

ビールはジョッキではなくグラスにして、昨日食べなかった大分名物とり天をオーダーすることにした。ただ、いきなり油っぽいものも避けたかったし、血糖値のことも考えて野菜から食べたかった。メニューを見てもサラダ的なものがなかったので、お店の方に聞いてみると、生野菜サラダを作ってくれた。ゆっくりとサラダを食べながらビールを飲む。本当はレースが終わったんだから(しかも泊まりで帰らなくて良い)、ガンガン飲みたいところだが、体が受け付けない。とり天も途中まで食べたらとても1人で食べきれないと思えたので、そこからは衣を外して中身だけいただいた。ごめんなさい。

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部屋に帰ってくつろぎながら、明日の観光コースを考えた。

別府といえば、「地獄めぐり」が有名だ。

「地獄」と名付けられた温泉噴出口を7つめぐるものだが、全てをめぐるのは時間的に無理なので、国の名勝にもなっている4つの地獄のうちの2つ、「血の池地獄」と「海地獄」を回ることにした。路線バスのルートと時刻を確認し、手帳にスケジュールを書き込んだ。

 

その晩はなかなか寝付けなかった。

レース前日に別府の本屋で買った文庫本を読みながら眠りに就こうと思ったが、その頃(23:30頃)になってやっと腹が減ってきてしまった。しかし、食べるものはないので忘れて寝るしかない。眠りについても、小刻みに目覚めてしまい、その日のGarminの睡眠ログはこんな感じだった。

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朝食を済ませて、支度をし別府駅までシャトルバスで送ってもらう。

そこでコインロッカーに荷物を預けて「地獄めぐり」をするつもりだったが、コインロッカーは満室。仕方なく荷物は背負ったままめぐろうと思ったのだが、先に空港までのリムジンバスの乗車券を買っておこうと入った観光案内所に荷物預かりのサービスがあった。料金もコインロッカー(中)より100円安い!

 

その後、2つの地獄をめぐって大分観光は終わった。

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そして、僕の別大も終わった。

 

 

別大に出ようと思ったきっかけの一つは、おそらく4年ほど前だったと思うが、僕が以前勤めていた会社の元社長にあって立ち話をした時の会話にあると思う。

「どう、最近もまだ走ってる?」

僕がランニングを趣味としていることを知っている元社長が挨拶代わりに聞いてきた。

「はい。年に2、3レースに出てます。」

まあ、きっとこんな言葉を返したと思う。

「この前さぁ、俺の友達が同い年だから54歳(だったと思う)なんだけど、別大走ってサブエガだったんだよ」

この元社長、ご自身はマラソンをやる訳ではないのに(ゴルフは上手らしい)「別大」「サブエガ」ってどういうことだ。

 

その時、僕も「別大でサブエガしたい」と思った記憶がある。

まだ、本気で2:50を目指すつもりだった。

そして、その後、その別大に出るチャンスがやってきた。

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恥ずかしながら、まだ2:50を目指すつもりでいた。

 

ところが、コロナで走れなくなり、その後、自らの選択でマラソンとは少し距離をおいた。別に走ることが嫌になった訳ではなく、自分の人生を考えた時に別に優先すべきことがあったのだ。

そんな状態でも、持ち越された出場権、しかもカテゴリー2としての出場権を使わないという選択は考えなかった。たとえ万全の状態で挑めなかったとしても、別大だけは走ろうと思った。流石にサブエガという目標は立てられなかったが、エイジシュートを目指して(それでも十分に高い目標だ)走ることにした。

おそらく、今回は今までで一番苦しんだレースだったと思う。結果は、エイジシュートどころかカテ2の権利も失い、目標には遠く及ばないものになったが、本当に苦しい状態でも最後まで諦めずに走りきれたことは自分の糧になったはずだ。やり切った充実感は大きい。

 

走り終えて、家族にLINEで報告を入れた時のこと。

結果を伝えた後、ゴール後に足が攣って20分立てなかったと伝えると、「もう60近いから気をつけないと」と娘に言われ、「確かにな」と思った。

もう、ゴールして立てなくなるような、トイレで吐くような、乾杯のビールも飲めないような、そんな身を削るようなレースはこれでおしまいにしよう。

 

潮時だ。

 

1月の終わりに、別大が終わったら、少なくとも1年半くらいは別のことに打ち込む決意をしていた。

かといって、走ることもマラソンをすることも止めるつもりもない。このブログに何か書くこともあるかもしれない。

そして、また走れる時がきたら、きっと走る。

それも、ただのファンランではなく。

今までとは違う形になるかもしれないけど、やはり何かしらの「挑戦」ではありたいと思う。きっと、僕にとってはそれが走ることの楽しさだから。